INTERVIEW 過去参加者の今だから言えるホンネINTERVIEW

インタビュー者名前
渡邉 弘木
明治大学大学院
理工学研究科

事業開発本部
事業開発第二部

九州の街づくりを直に見たかった。
ふるさとが大好きで、
地方の開発に貢献するのが目標だから。

ふるさとの開発に感じてきた問題意識。

――いつから地元の開発がしたいと考えていたんですか?

子どもの頃からです。実家が建設業をしていることもあり、幼い頃から街づくりを意識していました。出身は山梨県の富士吉田市で、地元には日本三大奇祭に挙げられる祭りもあり、グルメもあり、周りには富士五湖もあり、観光資源が豊富であるにも関わらず、積極的に行政を巻き込んだ開発ができていないように思い、自分がそれを纏めて開発の一助になりたい、と考えてきました。そんな想いもあって、大学院では都市計画を専攻。就職は街づくりに関われる業界として、デベロッパーや鉄道のような企業群、もしくは都市コンサルタントを視野に入れていました。

――どうして新日鉄興和不動産のインターンシップを選んだんですか?

新日鉄興和不動産は、北九州、姫路や釜石といった地方に自分たちならではの街をつくってきた経緯があり、他のデベロッパーとは色が違うように感じていましたし、数あるインターンシップの中でも、九州の街づくりを見に行くというプログラムに惹かれたんです。そして現地では工場跡地につくられたスマートシティや戸建ての高級住宅地などを見学させてもらいました。スマートシティには、製鉄所のエネルギー資産を利用したコージェネレーションシステムなども導入されていて、とても先進的な街づくりが展開されていたわけですが、何よりも印象的だったのは会社のパワーですね。

現場の人たちは、やる気満々。
「俺がこの街を変えるんだ」という気概がみなぎっていた。

――なるほど、会社のパワーですか。

第一に、行政なども巻き込みながら、新日鉄興和不動産がリーダーシップを取って開発をしていましたし、社員の方にも「俺がこの街を変えるんだ」という意気込みがありました。九州にいる社員は20名程度ということですが、僅かこれだけの人数で、東京での開発よりも大きな土地を回しているのは凄いスケールだな、と驚嘆しました。

――会社について、他にどんな印象を持ちましたか?

年次の浅いうちから裁量を持って働ける会社という印象。さらに、東京という社会、地方という社会、それぞれの情勢を常に考察しながら開発をしている企業という印象です。それは、就業体験でも実感しました。
就業体験の時は、僕が都市コンサルタントでアルバイトをしていることが、担当社員のAさんに伝わっていたらしく。「地域のマンション価格を分析し、君がここに建てるんだったら、どういう坪単価にするかを考えてみて」という難題が与えられてしまいました(笑)。「ちょっと無茶振りだなぁ…」と思いつつも考えて提出したところ、「値段の上下幅をグラフにするなりして、分析してほしかった」というフィードバックがありました。僕が着目したのは物件の規模のみで、社会情勢の変化に伴う物価変動の視点が足りなかったのです。

かけがえのない出会い。
街のこと、将来のこと、腹を割って語り合えた先輩社員。

――その後、建設中のマンションを見に行ったんですよね。

板橋や渋谷の物件をいくつか見せていただきながら、例えば「このマンションの設定価格が他の物件よりも若干高いのは、設備の充実度に加え、竣工時の社会情勢も考慮に入れているためだ」といったことを教えてもらいました。
実はそれから懇親会があったんですが、その席で別の社員さんから、「Aさんの家、どうだった?」と言われ。その日見学した渋谷のマンションがAさんの購入物件だったのを知って、ビックリ。自分が手掛けたマンションを買うという行為に、仕事への自信を感じました。Aさんは入社8年目の方でしたが、この若さで高額マンションを購入できるというのは、僕たちの夢も広がりますよね(笑)。そして、もう一人、凄くお世話になったのがBさんです。

――Bさんはどんな人だったんですか?

Bさんも僕と同じく地方出身。経験してきた内容や意識がとても似ている人で、一緒に地方の街づくりについて議論させていただきました。最初は「カフェで1時間ぐらいね」と、夕方の6時に集合したんですが、意気投合して話が止まらず、結局は終電まで想いを語り合いました(笑)。
進路の相談にも乗っていただいたことにより、80年、90年という人生を見据えながらのビジョンが描けました。インターンシップで仕事や働き方を知るだけでなく、就職活動の疑問や悩みも解消してもらえた会社。それが僕にとっての新日鉄興和不動産です。