INTERVIEW 過去参加者の今だから言えるホンネINTERVIEW

インタビュー者名前
大久保 光造
早稲田大学大学院
創造理工学研究

住宅事業本部
開発第一部

「合理的な計画が、正しいとは限らない」。
街づくりの深さを知って、
挑戦し甲斐があると思った。

自社の利益のみの追及ではなく、
共存共栄のマインドが息づいていた。

――大久保さんは修士1年の夏に、ベトナムへ行っていたそうですね。

ええ。1か月間、都市計画コンサルタントのインターンシップに参加して、ホーチミンの北にある新都市へ。そこで携わったのは、社員の方たちとともに、バスの利用者数や属性を洗い出し、交通計画を練る仕事です。ただ、コンサルタントが計画をまとめて提案しても、実行されるとは限らない。そこに歯痒さみたいなものを感じ…。開発を主導するデベロッパーや鉄道会社に目が向くようになりました。新日鉄興和不動産の街づくり体感セミナーに参加したのは、自分が情報収集した中で、開催時期がいちばん早かったからという、単純な動機が発端ですが(笑)。社員さんとの話を通じ、地域との共存共栄を目指す事業スタンスに共感したことが、5Daysインターンシップへの応募に結びつきました。

――就業体験はどの部署で?

都市創造部というところです。そこでは当時、武蔵浦和SKY&GARDENの案件が進んでいて、社員の方にマンション内の部屋を見せてもらったり、共有スペースや庭園にどんなこだわりがあるかを伺ったり、販売の流れを学んだり…。正直に言うと、インターンシップに参加するまでは、「一つの物件で街づくりってあまりピンとこないな」と思っていました(苦笑)。しかし、先輩社員とたっぷり話す中で、どのような物件が街に必要なのか、逆に物件が街にどのような影響を与えられるか、本当に真剣に考えて仕事に向き合っていて、最初に抱いていたイメージを覆されました。

120点の開発をするために、
誰よりも働き、勉強していた先輩社員。

――社員との会話で心に残っているものはありますか?

「デベロッパーは、設計や施工、広告、販売、コンサルといったプロの人々に仕事をお願いするため、何もしなくても70点、80点の開発はできる。しかし、100点、120点の開発を目指すのであれば、街のことを考え、強い芯を持って関係者のベクトルを揃える必要がある」と仰っていたのが印象深いですね。
そして、この強い芯をつくるためにも、頻繁に街を歩いて地域の人々の特性を探ること、土壌調査や測量、設計、マーケティング、販売促進などについて自ら学ぶことが大事だ、と教えられ。関係者の信頼を得るために、人一倍働いている姿にも敬服しました。

――ためになる話がいろいろ聞けたようですね。

そうなんです。また、その社員の方は、武蔵浦和SKY&GARDENの前に、とある都内の物件を手掛けていたそうで、そちらにも連れて行ってもらいました。そこは20~30戸の比較的小規模なマンションで、「このような物件は街に与える影響は大きくないかもしれないが、自分の想いや考えが詰まっていて愛着も湧く」のだとか。開発時の苦労話をしている時でさえ、社員さんの表情は楽しそうで。それだけ面白い仕事なんだなと思いましたし、仕事の価値は開発規模の大きさではない、ということを感じました。

自分たちのチームが考えた計画は、
どうしてダメだったのか。
その謎が解けた時、
デベロッパーのやりがいに気がついた。

――インターンシップ中のコミュニケーションで他に覚えていることは?

九州に行った時、人事担当部長さんとの会話によって疑問が解けたことですね。そう、先ほど話したベトナムでの一件。自分は一応、大学院で都市計画を学んでいるし、プロである社員の方と一緒に、新都市に適した合理的なプランを考えたつもりだったのに、なぜそれが受け入れられなかったのだろうか、と。
それに対するその方の答えは、「合理性だけではうまくいかない。人の声が入っていない計画は、実行した後に予想もしなかった問題が起きることがある」というものでした。その逆に、例えば吉祥寺は、狭い路地なども多く、机上で考えれば非合理なところだけれど、人々の声を拾い、行政とも一体になって街づくりをしてきた経緯があるから、住みたい街の上位にランキングされている。そのように「非合理な空間さえも、街にとって合理的なものにしていけるのがデベロッパーだ」と伺って、この仕事のやりがいを、また一つ発見することができました。

――人事担当部長はどんな人でした?

すごく情熱的な方でした。それは他の社員さんにも感じたことですが。新日鉄興和不動産の人たちは、30代、40代になっても、入社時と変わらぬような強い想いで街づくりをされている。インターンシップでは様々な社員の方々とお話ができる食事会の場もあったのですが、こうしたカジュアルな空気の中でも熱い想いが伝わってきた。これが会社の“色”なんだなと肌で感じました。そして、僕も同じようにいつまでも情熱を燃やし続けたいと思うようになりました。友人から「青臭い」と言われるような人間でいたい、と思ったんです。